2016年に日米通算200勝を上げて名球会入りを果たした黒田博樹。
日本シリーズ直前に現役引退を表明し、臨んだ最終決戦。
第3戦目に先発登板するも、5回2/3を投げ終えたところで、ふくらはぎと両ハムストリング(太もも裏)が張り出して緊急降板した。
これが黒田博樹の現役最終登板となってしまった。
名球会投手が引退年に日本一となったのは金田正一、東尾修の2人だけ。
名球会は投手は200勝、もしくは250セーブ、野手であれば2000本安打が入会条件になっている。
近代野球では中6日のローテーションが確立されていることや、リリーバーに重きを置く傾向があり、先発投手の勝ち星が伸びにくい傾向にある。
そうした背景もあり、先発投手で200勝を達成している投手は24人しかいない。
名球会は昭和生まれ以降となっており、200勝を超えて名球会入りを果たした投手は17人となっている。
(250セーブで名球会入りを果たしたのは、これまで3人。)
長いプロ野球の歴史を考えても、とてもハードルの高い記録なのである。
その精鋭たちの中でも、現役最終年に日本シリーズに出場し、日本一となった選手はたったの2人しかいない。
その2人とは、400勝投手読売ジャイアンツの金田正一(1969年)と、ケンカ投法西武ライオンズの東尾修(1988年)である。
名球会入りしている打者でも、現役最終年に日本一になっている選手は1981年読売ジャイアンツの柴田勲、松原誠だけであり、やはり2人。
山本浩二も現役最終年の1986年に日本シリーズに進出したものの敗退している。
山本浩二に続き黒田博樹も名誉ある日本一となれなかった。
達成している人が少ないだけに、余計に価値があり、とても残念な気分である。
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