1957年7月30日、広岡富夫が旧広島市民球場初アーチ、弟は達朗

戦後70年を迎える2015年。

プロ野球も大いに発展し、とてもキレイなスタジアムが増えたが、戦後、市民球団として誕生したカープは広島総合球場(現:Coca-Cola West野球場)を利用していた。

しかし、広島総合球場にはナイター設備がないことや、観客の収容能力が少なさが問題であり、近代的な野球場の建設が求めれていた。

新旧広島市民球場で初本塁打を放った選手はカープ選手ではない!?

中国地方初のナイター設備を持った球場の建設を!と地元財界人の建設資金寄付を受けた広島市が、球場建設を決定したのが、1957年1月31日。

その後、1957年2月22日に起工式。

そして何と半年も経たない1957年7月22日に 完工式を行い、7月24日に広島-阪神戦のナイターでこけら落としの試合を行っている。

今の時代では考えられないスピードで物事が動いていたのだろう。

揉めに揉めている新国立競技場の建設問題とは大違いだ。

とは言え、この時点では第1期工事完了ということで、観客定員数は17,422人であった。

 

こけら落としの広島-阪神線は、試合は1-15で大敗。

こけら落とし本塁打を誰が打ったのか、調べてみてもわからなかったのだが、カープの選手としては、58年前の今日、7月30日にあの広岡達朗の兄である広岡富夫が放ったのが初である。

この流れ、実はマツダズームズームスタジアムでも似ていて、こけら落としの試合は2009年4月10日の広島-中日で、3対11と大敗。

こけら落とし本塁打を放ったのも同日の試合で中日ドラゴンズの和田一浩で、カープの初本塁打は栗原健太が2009年4月16日に打ったもの。

新旧広島市民球でのカープ初本塁打はこけら落としから6日間後というのは何かの運命であろうか?

 

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