1本足打法のスラッガー大豊泰昭さんのご冥福をお祈りします

Yahoo!!ニュースを見ていて突然飛び込んできた訃報、驚きすぎて「エッ」と声を上げてしまった。

51歳と若く、とても残念だ。

カープ戦、広島市民球場で良くホームランを打たれた記憶

元々私は愛知県の出身。

地元にいたころ、プロ野球を見ようにもジャイアンツ戦かドラゴンズ戦しかやっていなかった。

なので、カープ戦を見れるのはカープvsジャイアンツか、カープvsドラゴンズ。

カープvsドラゴンズで何度も大豊に打たれた記憶がある。

特に広島市民球場で。

単なる私の記憶なので、実際の数字はどうかわからない。

特にカープが最後に優勝した1991年には中日ドラゴンズと首位争いをしていたせいか、そのイメージが更に強い。

年度別成績を見ると、1991年以外に1994年、1996年と3割前後の成績に38本のホームランを放っており、カープが強いときにカープの壁になっていた選手であった。

カープと大豊泰昭、お互いに切磋琢磨していたと思う。

愛知県生まれのカープファンでもあるので、この若い死は本当に残念だ。

 

カープファンから言うことでもないが、現在の中日ドラゴンズの現状をどう見ていたのだろうか?

チームも低迷しているが、左打者で20本以上の本塁打を放った日本人打者は2010年の森野将彦以来出ていない。

大豊泰昭とカープが競い合っていたころのように両チームが強く、スラッガーが表れてもらいたいと願っていたのでは?

そして調べてみたところ、中日ドラゴンズと広島東洋カープの両チームがAクラスになったのも1996年を最後に記録していない。

大豊泰昭としてもカープと競っていた時代を懐かしく思っていたかもしれない。

『君のパワーで ここまで飛ばせ さあホームラン 大豊 大豊』

 

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