2025年、小園海斗が初タイトルとなる首位打者と最高出塁率を獲得した。
カープでこれまで首位打者を獲得した事がある選手が何人いるのかを調べてみた。
広島東洋カープで首位打者を獲得した事がある選手は小園海斗で7人目で計9回!
カープで首位打者を獲得した事がある選手は以下のようになっている。
獲得年 | 打率 | 名前 |
1962 | .307 | 森永勝治 |
1975 | .319 | 山本浩二 |
1978 | .348 | 水谷実雄 |
1987 | .333 | 正田耕三 |
1988 | .340 | 正田耕三 |
2004 | .337 | 嶋重宣 |
2019 | .335 | 鈴木誠也 |
2021 | .317 | 鈴木誠也 |
2025 | .309 | 小園海斗 |
カープで初めて首位打者を獲得した森永勝治は2リーグ制以降の首位打者の記録として最も低い打率となっている。
(⇒ 2025年のパシフィックリーグの首位打者は.304牧原大成でその数字を塗り替えた。
同じ年のセントラルリーグの首位打者である小園海斗はセントラルリーグ史上、2番目に打率が低い首位打者である。)
1962年、セントラルリーグで3割をキープしたのは森永勝治の一人だけであった。
この年のパシフィックリーグの首位打者は近鉄バファローズのブルームで.374で3割に到達した選手は11人いた。
セントラルリーグとパシフィックリーグで対照的な打撃成績となっている。
森永勝治(もりながかつはる)はカープに入団した1958年から首位打者を獲得した1962年までの登録名で、それ以降は本名の森永勝也(もりなが かつや)で登録されている。
首位打者を獲得した後に登録名を変えるには理由があったのだろうか?
3割を記録したのは、首位打者を獲得した1962年のみとなっている。
広島東洋カープはプロ野球が2リーグ制となった1950年に設立されている。
当時は8球団あったが翌1951年に7球団となり、1953年からは6球団になっている。
2019年に鈴木誠也が首位打者を獲得したのは2004年の嶋重宣依頼15年振りであったが、球団数からいけば6年に一度の割合でタイトルを獲得してほしいなと思う。
その後、2021年に再び鈴木誠也が、そして、2025年には小園海斗も首位打者を獲得した。
こうしたペースでチームから首位打者が誕生してくれると、ファンとしても嬉しい限りだ。
(優勝も6年に1回はしてもらいたいのだが…)
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