日米通算200勝を達成した黒田博樹は1996年ドラフト2位でカープに入団している。
1位は同じく大卒の澤崎俊和であることはよく知られた話であるが、この2人以外にはどのような選手がドラフト同期にいたのだろうか?
1996年のドラフトではカープは4人の選手しか獲得しなかった!
1996年のドラフト会議、カープは4人の選手しか獲得していない。
上位3人が投手で4位の福良徹だけが外野手。
1996年と言えば、ビックレッドマシンを擁した年であるが、投手力が弱く、メークドラマで逆転優勝された年である。
チームの弱点を補うべく上位3人を投手で指名しているのは良いが、もう少し多くの選手を獲得しても良かったのではないかと思う。
ドラフト1位の澤崎俊和と2位の黒田博樹は逆指名であったので、それ分この2人への期待度が大きかったのかもしれない。
カープがドラフトで4人しか指名しなかったのは最少タイ記録である。
この年のドラフトで獲得した選手の1軍通算成績を比較してみたい。
順位 | 名前 | 登板 | 勝利 | 敗北 | セーブ | 防御率 | 備考 |
1位 | 澤崎 俊和 |
176 | 24 | 17 | 15 | 4.70 | 新人王 |
2位 | 黒田 博樹 |
533 | 203 | 184 | 1 | 3.51 | |
3位 | 河野 昌人 |
110 | 7 | 16 | 10 | 5.82 | シドニー五輪 日本代表 |
*黒田博樹の成績は日米通算。
福良徹は残念ながら1軍出場がないまま現役を引退している(2000年に一度一軍登録はされている)。
澤崎俊和は逆指名のドラフト1位らしい活躍をルーキーイヤーにみせて、見事に12勝を上げて新人王を獲得。
しかしその後は伸び悩み、結果的に通算24勝の半分はルーキーイヤーに上げる結果となった。
1999年には抑えにも配置転換されたが上手く機能はしなかった。
その後にクローザーに回ったのがドラフト3位の河野昌人。
2000年には9セーブを上げてシドニーオリンピックにも選出されているが、やはり伸び悩み2004年にダイエーホークスに移籍している。
こう見ると、大器晩成型であるのが黒田博樹である。
コツコツと努力を重ねて200勝まで辿り着いた。
上宮高校時代は3番手投手であったことも有名な話だが、コツコツやっていれば、いつかは必ず花開くという黒田博樹の座右の銘「耐雪梅花麗」を地で行く選手であると感じる。
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