昨日、惜しくも2000本安打に届かず1900本台で現役を終えた選手について紹介した。
今日は投手編。
200勝が名球会の基準だが、惜しくも190勝台で現役を終えた選手は何人いるだろうか?
190勝台の投手は暗黒時代を支えたエースたち!
名球会200勝に僅かに届かず190勝台で終えた投手たちは3人。
勝利数 | 名前 | 所属 | 現役年 | 生年月日 |
197 | 長谷川良平 | 広島東洋カープ | 1950- 1963 |
昭和5年 3月25日 |
193 | 秋山登 | 大洋ホエールズ | 1956- 1967 |
昭和9年 2月3日 |
191 | 松岡弘 | サンケイアトムズ~ ヤクルトスワローズ |
1968- 1985 |
昭和22年 7月26日 |
長谷川良平、秋山登、そして松岡弘とそれぞれカープ、ホエールズ、そしてスワローズで活躍したスーパーエース。
3投手とも長くチームの暗黒時代を支えたが、秋山登と松岡弘はチーム初優勝・そして日本一へと導いた。
長谷川良平も同じような境遇であったので、一度はリーグ優勝を味わってほしかったなと思う。
各投手ともあと少しで200勝だったが、現役晩年は勝ち星を上げることが難しくなっており、悔いはないのかなと思う。
1978年に発足した名球会、それ以前に現役を終えていた長谷川良平と秋山登は名球会入りという目標は無かった時代だ。
名球会へは2000本安打と200勝以外に250セーブも対象となる。
それぞれ1900本安打以上と190勝以上と95%まで達していた選手について調べてみたが、セーブ数でいけば237セーブ。
しかし、237セーブ以上250セーブ未満で現役引退した投手はおらず、228セーブで現役を引退した小林雅英で最も惜しい数字である。
セーブは1974年(昭和49年)に制定された記録であり、分業制が確立されたのは昭和の終わり頃であり、更に250セーブが名球会入り可能となったのは2003年である。
今後、セーブ数で名球会入り選手は増えてくるだろうし、惜しくも237セーブ以上で現役を引退する投手も出てくることだろう。
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