甲子園ベンチ入り登録可能選手の人数推移。無制限から14人⇒15人⇒16人⇒18人⇒20人!

2023年の夏の甲子園大会からベンチ入りが20人に増員されることとなった。

これまでの甲子園のベンチ入りメンバー登録可能人数の推移について調べてまとめてみた。

当初はベンチ入り登録メンバーの制限がなかった⁉

高校野球の夏の大会が始まったのは1915年(大正4年)。

当時の登録可能メンバーには制限がなかった。

ただし、監督と選手11人に対して旅費、滞在費の支給があった。

この為、11名で戦う学校もあれば、裕福な学校は多くの選手をベンチに入れるといった不公平が生じていた。

この不公平を無くす目的で、1928年(昭和3年)にベンチ入りメンバーが14名に固定化された。

その後、1978年(昭和53年)夏から49代表制となり、試合数が多くなったことから登録可能メンバーが1人増えて15人となった。

平成に入ると、投手の肘や肩への影響から投手複数制を高野連が訴えるようになり、1994年(平成6年)の春から登録人数は16人へと増えた。

1998年(平成10年)には夏の準々決勝・横浜高校対PL学園は延長17回という過酷な試合を行った。

その為、選手への疲労軽減を考え、2000年(平成12年)春から延長戦が18回から15回打ち切りへと変わり、2003年(平成15年)からは準々決勝を2日に分けて行うなどの処置が取られるようになり、登録可能人数も18人へと増加した。

その後、2018年の春からは延長は12回までとなり、延長13回以降は無死一・二塁から始めるタイブレーク制度が採用され、2020年春からは1週間の投球数が500球までに制限されるなどと言った改正が行われた。

投球数制限により多くの投手を必要としたり、熱中症対策などでベンチ内の役割が増えた事を背景に、2023年夏からベンチ入りメンバーが20名へと増える事になった。

更に、2023年夏からは5回終了後に10分間のクーリングタイムも導入される。

甲子園でのベンチ入り登録人数の推移をまとめてみると以下のようになる。

登録人数
1915年夏~ 制限なし
1928年夏~ 14名
1978年夏~ 15名
1994年春~ 16名
2003年夏~ 18名
2023年夏~ 20名

甲子園は15名の登録が一番長いと思っていたが、14名の時が半世紀も続いていたとは驚いた。

そして、ベンチ入り18名も20年続いていたが、20名へと増員となった。

平成に入ってからは投手の投球数に関する議論やケガの防止、疲労軽減の議論が絶えないが、ようやく登録人数を増やしたイメージだ。

地方大会ではベンチ入り登録可能選手を20名にしている県の方が多く、地方大会ではベンチに入っていたのに甲子園では外れるケースもあり悲し過ぎると思っていたので、甲子園も地方大会に合わせて20名にしたのは個人的にはとても良い事だと感じる。

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