2016年4月14日、対中日ドラゴンズ@マツダスタジアムでエクトル・ルナが1試合で4失策を喫した。
これは三塁手のリーグ最多記録で、1951年に広島商出身の近鉄パールス室山省二が記録した数字に並ぶ日本記録。
守備位置に限らない1試合の失策数の日本記録は、1949年に南海ホークスの木塚忠助が記録した6(三塁手で3、遊撃手で3の計6失策)。
玉木朋孝の現役時代の通算失策数はわずか1
ルナの度重なるエラー、内野守備コーチはこっ酷く怒られるのだろうなと思う。
1軍内野守備コーチは誰かと言えば、1塁ランナーコーチも務める玉木朋孝。
通常、1,3塁のランナーコーチは内外野の守備コーチが務めることが多く、肩書も守備走塁コーチとなっていることが多い。
玉木朋孝は1軍内野守備走塁コーチであり、3塁ランナーコーチの河田雄祐は1軍外野守備走塁コーチ。
内野守備コーチである玉木朋孝は、修徳高校出身。
修徳時代の同期にはエース高橋尚成がおり、4番遊撃手であった玉木朋孝と共に攻守の柱として1993年夏の甲子園に出場した。
甲子園1回戦では、後にカープにドラフト1位として同期入団する、山根雅仁擁する岡山南と対戦し2-0で勝利するなど、ベスト8まで駒を進めた。
そして1993年、大型遊撃手として期待されドラフト3位でカープに入団した。
2001年からはオリックスバファローズに移籍し、2005年に現役引退。
2004年は球団消滅問題があった年だが、オリックスブルーウェーブとしての最終戦に9番サードでスタメン出場し、試合途中でセカンドへ。
相手は球団消滅・吸収球団となる大阪近鉄バファローズであったが、その最後の打者、星野おさむのセカンドゴロをさばいた選手となっている。
この試合ではスタメン出場していたが、現役時代のほとんどは控え選手であり、放った安打は通算22本で本塁打は0。
試合途中からの代走・守備固めの出場が多かったが、盗塁は記録したことがない。
守備の人と言っていいだろう。
大型遊撃手として入団したが、プロでは二塁、三塁の守備固めが多かった。
そして、1軍で記録した失策はわずか1。
もちろん守備固めなので、それほど守備機会が多いわけではないが、誇るべき数字だ。
(プロ通算120試合の出場。ウェスタンではそこそこエラーを記録していて、2001年はウェスタン77試合の出場で11失策。)
1軍内野守備コーチの玉木朋孝、1試合で4失策を記録したルナに対してどのように接するのだろうか?
技術的な問題として指導するか、精神的な問題としてフォローするか?
打線では4番を務めるルナ、守備に関してどのようにコーチが接していくか興味深いところである。
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