近代野球はクローザーがしっかりしていないチームの優勝は難しい。
近代野球と言うが、カープ1991年優勝時には大野豊、1986年には津田恒美がいた。
そして1984年には小林誠二がクローザーとして君臨していた。
9回限定ではなかった昭和のクローザー
近代野球では7回以降の投手の重要性が増している。
7,8回を投げるクローザーはイニング跨ぎなど複数イニングを投げることもあるが、クローザー9回限定で基本線で、投げても4アウト、2イニング投げ切るのは稀なことである。
しかし、クローザーのこうした役回りが固定化されたのは、平成に入ってからだろう。
昭和の時代はクローザーでも2イニング、3イニング投げることは稀ではなかった。
1984年のカープ優勝時にはクローザー小林誠二がいたが、登板は9回限定ではなかった。
この動画では小林誠二は5回から登板しているが、9回限定でのクローザーではなかった。
この年の小林誠二、先発での登板も2試合あり、規定投球回にギリギリ届き、最優秀防御率のタイトルを獲得している。
この年の優勝には欠かせない戦力であった。
小林誠二は1975年ドラフト4位でカープ入団後、西武ライオンズに移籍している。
西武ライオンズでパームボールを習得し、1984年にカープに復帰して日本一に貢献する選手となった。
西武ライオンズへの移籍がなければパームボールの習得もなく、カープの優勝もなかったかもしれない。
当時の西武ライオンズ監督の広岡達朗はこの移籍をレンタル移籍と言っているが、広島県出身の広岡達朗だからできたトレードかもしれない。
実は私が実際に記憶があるカープ優勝で一番古いのがこの1984年。
1984年もうる覚えだが、これ以前のカープクローザーについても機会があれば書いてみたい。
何故なら江夏豊は外せないからだ。
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