ビックレッドマシンガン打線の中心にいるのは新井貴浩。
開幕は6番でスタートしたが、エクトル・ルナの離脱後は4番に座って打点を稼ぎ、チームの勝利に貢献している。
2005年には43本塁打で本塁打王を獲得しているが、阪神移籍以降は繋ぎの打撃でチームの勝利に貢献するバッターへと変貌した。
古田敦也、サブロー、内川聖一…繋ぎの4番で日本一へ導いた打者たち
新井貴浩は阪神移籍前、2002年(28本)、2005年(43本)、2006年(25本)、2007年(28本)と4度、20本塁打以上を記録しているが、阪神タイガースにFA移籍した2007年以降は20本塁打以上を記録したことが無い。
2010年の19本が最高である。
しかし、2011年には打点王に輝くなど、「打点」でチームに貢献している。
4番と言えば「豪打」のイメージもあるが、これまで日本一になったチームでも繋ぎの4番として貢献した選手は少なくない。
記憶に新しいところでは、1997年の古田敦也(ヤクルトスワローズ)、2005年のサブロー(千葉ロッテマリーンズ)、そして2015年の内川聖一(福岡ソフトバンクホークス)がそれにあたる。
名前 | 年 | 打率 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 四死球 | 備考 |
古田敦也 | 1997 | .322 | 9 | 86 | 9 | 3 | 82 | MVP |
サブロー | 2005 | .313 | 14 | 50 | 6 | 2 | 39 | 規定打席未満 |
内川聖一 | 2015 | .284 | 11 | 82 | 1 | 0 | 49 | 8年連続3割ならず |
繋ぎの4番という言葉のイメージが右打者を連想させるのは私だけだろうか?
繋ぎの4番という言葉が定着したのは、2005年のサブローだと思うが、最も繋ぎの4番として活躍したのは古田敦也だと思う。
キャッチャーとして、打撃だけでなく守備面でも中心の選手であった。
考えてみればこの3人、4番である前に守備面も含めてチームを引っ張る存在である。
だからこそ、4番を張れるのだとも言える。
比較してみれば、新井貴浩もこの3人に十二分に肩を並べられる存在だ。
新井貴浩に足りないのはリーグ優勝・日本一の肩書だけ。
繋ぎの精神で、チームをリーグ優勝・日本一に導いてもらいたい!
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