その類い稀なバッティングセンスで、落合博満やイチローからも一目置かれた男、前田智徳。
怪我との戦いだったイメージも強いが、20年前の今日、神宮球場でのヤクルトスワローズ戦で右アキレス腱を断裂した。
ここから怪我との戦いが始まった。
怪我がなければイチローより先に海を渡っていた?
1991年、前田智徳は2年目でありながらセンターのポジションを奪い、リーグ優勝に貢献した。
翌1992年~1994年の3年間、.308、.317、.321と打率を上げていき、日本を代表する外野手となった。
当時の応援歌同様、「走攻守の3拍子揃ったイカした男」で、将来どんな選手になるのだろうとカープファンのみならず、野球ファン注目の的であった。
それが1995年、24歳になるシーズンでのアキレス腱断裂。
その後は、左アキレス腱の手術も行うなど、下半身との戦いが続いた。
バッティングの軸となる下半身が安定せず苛立つことも多かっただろう。
「前田智徳は死にました」と自虐的なコメントを残していたが、自分のバッティングを取り戻そうと努力し、怪我するたびに不死鳥のように甦る前田智徳をファンは見てきた。
怪我をして前田智徳は死んだのではなく、伝説を作るためのプロローグだったんだと思いたい。
おそらく怪我をしていなければ、イチローより早くポスティングかFAでメジャーに挑戦していたことだろう。
前田智徳がメジャー挑戦していたとしても、黒田博樹同様に、もちろん応援したはずだ。
言葉は悪いが、怪我をしたからこそ、カープファンは楽しめたのかもしれない。
カープ前田智徳を見続けることが出来たのは、怪我があっての事だから。
そして、怪我する度に何度も何度も生き返り、その度に新生前田智徳を見ることができた。
本人にとっては痛く辛い出来事であるが、ファンにとっては生涯カープでいてもらえて有難い。
今は、球団主催イベントへの出演や商品開発への助言など行う「アドバイザー契約」を結んでいる。
球団としては前田智徳の囲い込みをしているが、生涯カープであるために、同世代を共に戦った野村謙二郎や緒方孝市のように指導者の道に進まないのだろうか?
衣笠祥雄のように再びユニフォーム姿を見ることはできなくなるのか?
天才前田智徳のユニフォーム姿をもう一度見れる日を期待したい。
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