緒方孝市は優勝からメークドラマまで多種多様な経験をしている男!

広島東洋カープ監督緒方孝市。

采配批判をくらう事も多いが、天国も地獄も味わっている経験豊かな人物である。

優勝・メークドラマ、夏から猛追・スタートダッシュ成功からの失速・・・多くの経験をしている男:緒方孝市

1986年のドラフト3位でカープに入団した緒方孝市。

当時はカープの常勝時代。

入団2年目の1988年にプロ入り初安打・初本塁打を放ち、5年目の1991年には102試合の出場でリーグ優勝に貢献。

日本シリーズの初戦にはスタメン出場も果たしている。

その後、1995年には規定打席未満ながら47盗塁を記録し、初の盗塁王。

1997年まで3年連続の盗塁王となった。

その間、1996年にはメークドラマというカープからすれば負の経験をしているのだ。

そして、1997年から引退する2009年までは常にBクラスと、カープ暗黒の時代も経験している。

トリプルスリーを果たすことは出来なかったが、打率3割、本塁打30本、盗塁30をそれぞれ記録したことがある打って走って、そして守れる選手であった。

引退後はそのままカープに残りコーチに就任。

2010年:野手総合コーチ(一塁ランナーコーチ)
2011年~2012年:外野守備走塁コーチ(三塁ランナーコーチ)
2013年:一軍打撃コーチ
2014年:野手総合コーチ(ヘッド格)

守備・走塁・打撃とあらゆる要職を担当し、2014年にはヘッドコーチ格となり、球団も野村謙二郎の後任の監督候補として早くから期待していたことがわかる。

この間、2013年には初のクライマックスシリーズに進出したが、夏場以降に勢いを付けて3位の座を確保した。

翌2014年には、2013年とは逆にスタートダッシュに成功したものの、交流戦から勢いを無くした結果の3位となった。

2014年4月22日には退場となった野村謙二郎の代わりに監督業も経験している。

そして2015年から監督に就任した。

監督1年目でありながら、豊富な戦力で優勝を期待されながらBクラス4位、ファンはガッカリしたことだろうが、実は3・4月に月間負け越しをして以降、月間で負け越したことはない。

本人も常々語っているが、「連敗しないこと」が監督としての一つの信念なのかもしれない。

 

選手として、監督としてここまで多くの経験をしている人物は少ないと思う。

その経験を上手く采配に活かしてもらえれれば、選手として経験した優勝を監督としても味わうことができるはずだ!

 

 

 

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