1991年4月14日津田恒実最終登板から25年、意思を引き継げ!

広島東洋カープが最後に優勝した1991年、この年がラスト登板になった投手がいる。

炎のストッパー津田恒実である。

カープ中継ぎ陣投手陣よ・・・「弱気は最大の敵」の意思をしっかりと受け継げ!

1981年のドラフト1位でカープに入団した津田恒実。

ルーキー時代から先発ローテーションの一角を担い、見事に11勝を上げて球団初の新人王に輝いた。

その後、血行障害に苦しみ手術を受け、ストッパーに配置転換。

血行障害の手術を受けてストッパーとなった点は、現在のカープのストッパー中崎翔太と被る。

1980年代後半のカープのストッパー、炎のストッパーとして球界を代表する投手となったが、1990年には右肩や右膝の故障の為に僅か4試合の登板に終わり、シーズンオフから謎の頭痛に苦しんでいたそうだ。

復活を期した翌1991年は大野豊とのダブルストッパーでシーズンをスタート。

しかし、シーズンの登板2試合目、読売ジャイアンツとの1戦を最後にグラウンドを去る事になった。

https://www.youtube.com/watch?v=EvjTetGgW_I

この試合はとても印象に残っている。

もちろん、この頃既に頭痛が酷かったことは知らなかったが、「また打たれた」とイラッとしたのが正直な感想。

津田恒実は全盛期もリリーフ失敗が少なくなく、前年はほとんど登板していなかったので、大丈夫か?と思ったのだ。

この翌日に頭痛の原因を探る為に検査入院したところ、摘出が困難な場所に大きな腫瘍が見つかった。

しかし、最後に対戦した打者が原辰徳だったのは何かの因縁かもしれない。

入団時から対戦を熱望し、幾度となく名勝負をし、1986年には原辰徳の手首を粉砕させてまでいる間柄。

不思議な縁である。

https://www.youtube.com/watch?v=Zn3OYlGx7io

津田恒実のラスト登板から25年。

カープの中継ぎ陣は苦しんでいる投手が多いが、津田恒実の気持ちをしっかりと受け継いでもらいたい。

広島市民球場、マツダスタジアムのブルペンには津田恒実のメモリアルプレートが貼られている。

津田恒実の座右の銘「弱気は最大の敵」の言葉を今一度深く考えてみてはどうだろうか?

最後の登板から25年経っているので、津田恒実の現役時代を知らない投手がほとんどのはず。

カープには誇らしい投手がいたことを知り、その魂を受け継げば、中継ぎ陣も変な投球をすることは無くなる事だろう。

 

 

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