前田智徳のコンバートの歴史:センター⇒ライト⇒レフト

昨日、丸佳浩はバッティングに好影響を与えるためにセンターに固定しているのではないかということを書いた。

逆に、センターだったが打撃に専念させるために両翼の選手となったのが前田智徳である。

走攻守の3拍子揃ったいかした男:前田智徳

ルーキーの年から1軍の試合に出場しプロ入り初安打、2年目の開幕戦で1番センターで起用されると先頭打者本塁打でプロ入り初本塁打を記録した前田智徳。

その年にはゴールデングラブ賞を史上最年少(高卒2年目の19歳)で獲得するなど、走攻守の3拍子揃った選手であった。
(2年目~4年目まで2桁盗塁も記録。)

10年20年とカープのセンターは前田智徳で安泰と思ったが、1995年のアキレス腱断裂以降は苦悩の連続となった。

アキレス腱断裂から復帰以降も暫くはセンターを守っていたが、当時の監督三村敏之が1998年にライトへとコンバートさせた。

それまでライトを守っていた現監督緒方孝市の守備力が高かったこともあって、前田智徳をセンターからライトへコンバートして守備の負担を軽くして打撃に専念させた。

その後、金本知憲がFAで阪神タイガースに移籍後は、ライトからレフトへのコンバート。

当時の監督は山本浩二で、自信も現役の晩年、センターからレフトへのコンバートを経験しており、打撃への好影響を期待したのだろう。

前田智徳の場合は丸佳浩とは逆に、守備の負担を軽くして打撃に専念させるためにセンターからライト、ライトからレフトへとコンバートを経験している。

前田智徳は打撃の神様であり、そのバッティングが大きく注目されていたが、球場で見るキャッチボールのフォームはとてもキレイで惚れ惚れしていた。

天才的な打撃だけでなく、あの守備・キャッチボールが見れなくなったのは今更ながら、とても寂しい。

 

関連記事:
    None Found


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください