(2016年に書いたコンテンツを2024年にアップデートしています。)
2016年のオールスターに先発投手部門でファン投票で選出された大谷翔平だが、直前の登板で豆を潰してしまい投球が出来ないようだ。
ファン投票で選出された選手が出場を辞退すると、後半戦開始から10試合出場停止になってしまう為、大谷翔平を打者として出場できないかと、日本ハムファイターズ監督栗山英樹は考えているようだ。
大谷翔平なら、野手としての出場も許されるのでは?
通常であれば、豆が潰れた程度なら中6日で間に合うだろう。
酷くてもローテーションを1回飛ばせば良い程度。
豆のためにオールスターを辞退して、後半戦10試合登板できないのは痛手だ。
1~2回登板機会を逃してしまう。
そもそもこのルールは、2006年に中日ドラゴンズ福留孝介がケガの為に出場辞退したのにも関わらず、後半戦開始からバリバリ試合に出ていた為に明確化された。
大谷翔平も、このルールに準ずれば後半戦開始から10試合は試合に出れないのだ。
だからこそ、投手以外での出場を探っている。
これまでのオールスターで投手が野手として出場した例も実際にある。
(大谷翔平は2013年に外野手、2017年にDHでオールスターに選出されている。
また、2016年には投手で選出されたものの、先述の通り、指の豆の影響で1戦目は代打、2戦目にDHで出場してMVPに輝いている。)
以下、大谷翔平以外の投手が野手で出場した事例についてまとめている。
◆1991年第3戦、7月24日@広島市民球場、代打:野茂英雄
延長戦まで突入したこの試合。
12回表に西武ライオンズの秋山幸二が自打球を顔面に受けた。
右目の上を切り大量に出血してしまい、担架で運び出され、救急車で運ばれてしまった。
既に野手を使い切っていたパシフィックリーグは、代打に近鉄バファローズの野茂英雄を起用。
カウント2-2から読売ジャイアンツ牧原寛巳が投じたストレートを見逃し三振。
ピッチャーの牧原寛巳は、この日の登板機会が無かったために、上は練習用のT-シャツで登板、野茂英雄はオリックスブルーウェーブのヘルメットを被っているなど、カオスな状態であった。
◆1991年第3戦、7月24日@広島市民球場、レフト:工藤公康
野茂英雄が代打で出た後、レフトの守備に就いたのが西武ライオンズの工藤公康。
秋山幸二が守っていたセンターにレフトからロッテオリオンズの愛甲猛を回し、レフトに工藤公康を守らせた。
高校時代に守って以来であったが、打球処理をすることはなく、規定により延長12回引き分けとなった。
◆1996年第3戦、7月21日@東京ドーム、代打:高津臣吾
この年にパシフィックリーグの指揮していたのは、オリックスブルーウェーブの仰木彬。
自軍の選手であるイチローを、9回2死、打者松井秀喜の場面で投手として登板させた。
これに対してセントラルリーグ監督の野村克也は、代打高津臣吾を起用。
松井秀喜に打者としてメンツを守らせるために代打を出したと語っている。
◆2006年第2戦、7月25日@マツダスタジアム、代走:由規
由規は監督推薦で初めてのオールスター出場。
直前の登板に豆を潰してしまい、登板は出来ずに代走での出場となった。
◆2024年第1戦、7月23日@エスコンフィールドHOKKAIDO、DH(投打二刀流):山崎福也
パシフィック・リーグ先発投手の山崎福也が2番DHでスタメンに名を連ねている。
バッティングにも定評がある山崎福也ならではの器用であるが、見事にレフト前にヒットを放っている。
ちなみにピッチングの方は2回に1イニング9失点のオールスターワーストタイとな不名誉な記録を残してしまっている。
(2011年の武田勝の記録と並んでしまった。)
◆2024年第1戦、7月23日@エスコンフィールドHOKKAIDO、代打:床田寛樹
この試合では先述した通りに山崎福也が投打二刀流での先発。
それに対抗したのか、コーチの新井貴浩が監督の岡田彰布に進言して床田寛樹を代打として起用。
山崎福也同様に床田寛樹もライト前ヒットを放ち、2人揃ってバットで結果を残している。
◆2024年第2戦、7月24日@神宮球場、代走:栗林良吏
この試合にDHで先発出場していたヤクルトスワローズのサンタナは足に故障を抱えていた。
その為、ヒットを放った際に先日に登板していた栗林良吏が代走で起用された。
これらの例はファン投票選出の選手のケガとは関係がない話である。
公式戦であれば、投手が代打や代走、守備に就いたとしても、出場と記録される。
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