サビエル・アレクサンデル・バティスタ、デビューから衝撃的な活躍を見せている。
シーズン途中に衝撃的なデビューを果たした外国人としてホーナー、ブライアント、そして呂明賜の名前を思い出した。
(年齢がバレる?笑)
シーズン途中で衝撃デビューを果たした助っ人外国人の2年目以降とは?
カープアカデミーから2016年に育成契約をしたサビエル・アレクサンデル・バティスタ、2017年にはウェスタンリーグで圧倒的な打撃成績を残し6月2日に支配下登録された。
その後、即1軍登録しデビュー戦で代打本塁打(逆転ツーラン)を放つと翌日の試合でも代打で本塁打の2打席連続弾。
3試合目はスタメン出場したものの無安打であったが、4試合目もスタメン出場すると2本塁打を放つなど、衝撃的なデビューを果たしている。
シーズン途中で登録されて衝撃的なデビューを果たした選手として、ボブ・ホーナー、ブライアント、呂明賜を思い出した人も多いと思う。
年 | 試合数 | 打率 | 本塁打 | 打点 | |
ホーナー | 1987 | 93 | .327 | 31 | 73 |
呂明賜 | 1988 | 79 | .255 | 16 | 40 |
ブライアント | 1988 | 74 | .307 | 34 | 73 |
この3人のデビュー年の成績をまとめてみた。
ホーナーは1987年4月13日に契約、5月5日に初出場を果たすと、最初の4試合で6本塁打を放ち衝撃を与えた。
現役大リーガーが来日し、その力を見せつけたのだ。
当然ヤクルトも破格の契約で翌年以降の残留を求めたが、日本野球には懲り懲りしていたのか契約でもめ、この1年しか日本ではプレーしていない。
呂明賜は1987年にドラフト外で入団した選手である。
当時の外国人枠は2で、その2枠でクロマティとガリクソンが活躍していた為、呂明賜は1軍でプレーする事が出来なかった。
しかし、6月にクロマティが死球を受け骨折した事により1軍デビューを果たすと、デビュー9試合で7本塁打をかっ飛ばした。
その後は相手チームの研究により成績は降下、助っ人外国人枠の影響もあり、日本では大きな記録を残す事無くジャイアンツを退団した。
同じく1988年、中日ドラゴンズに在籍していたのがブライアントである。
呂明賜と同じように外国人枠2枠は帰化前の郭源治とゲーリーが活躍しており、ブライアントの出番はなかった。
そのタイミングで近鉄のデービスが大麻所持で逮捕・退団となり、新たな助っ人としてブライアントに白羽の矢を立て、6月28日に金銭トレードでブライアントを活躍。
1989年のリーグ優勝にも貢献し、本塁打王3回、打点王1回を獲得するなど日本球界で長く活躍した選手でもある。
シーズン最多三振204の記録も持つ豪快な選手であった。
衝撃的なデビューを果たした外国人選手たち、長く活躍したのはブライアントくらいだろう。
デビューが衝撃的ではないものの、シーズン途中に加入しながら本塁打王を獲得した埼玉西武ライオンズのメヒアの例もある。
バティスタも長くカープで活躍できる選手になってもらいたい。
球団としてもまだまだ伸びる素材とみて6年契約を結んだと思う。
何より、バティスタの場合は空いた助っ人外国人枠を埋める選手としてやってきたのではなく、育成契約から自ら支配下契約と1軍登録を実力で掴んだ選手、カープの歴史に残る助っ人外国人選手になってもらいたいと思う。
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