松坂大輔が福岡ソフトバンクホークスと契約を交わした。
先発へのこだわり、奥様の柴田倫世さんの出身地だから・・・と報道がされているが、松坂大輔と福岡、色々と縁がありそうだ。
通算200勝まで残り36勝
松坂大輔は横浜高校卒業後、西武ライオンズに入団。
8年間在籍した後、メジャーに渡り8年、17年目のシーズンから日本復帰となった。
先ずは日米の成績を比較してみたい。
年 | 登板数 | 先発数 | 勝利 | 敗北 | セーブ | 防御率 | 投球回 |
1999-2006 | 204 | 190 | 108 | 60 | 1 | 2.95 | 1402.2/3 |
2007-2014 | 158 | 132 | 56 | 43 | 1 | 4.45 | 790.1/3 |
ケガの影響ももちろんあるだろうが、松坂大輔が渡米するときにイメージしていた半分くらいの結果しか残せていないのではなかろうか?
2010年に日米通算150勝を達成した時、イチローが「遅えよ!」と発言していたが、松坂大輔本人も同じことを思っていたに違いない。
そしてそれから4年が経って積み重ねた勝利数は14で、現在日米通算164勝である。
松坂大輔と福岡
200勝まで残り36勝。
順調にいけば3年で到達するだろう。
松坂大輔は是が非でも200勝を達成しなければならない理由がある。
横浜高校で甲子園優勝を果たした1998年、プロ野球でも横浜ベイスターズが優勝し、松坂大輔の意中の球団は横浜ベイスターズであった。
しかしドラフトで交渉権を獲得したのは西武ライオンズ。
当時の監督:東尾修は自身の200勝のウイニングボールを松坂大輔の手渡し入団にこぎつけた経緯がある。
松坂大輔は200勝を達成して、そのボールを返す、もしくは自身の200勝のウイニングボールを東尾修に手渡さなければならない。
そんな東尾修、西武ライオンズは埼玉県のイメージが強いが、入団当時の球団は西鉄であり、地元は福岡(平和台球場)。
松坂大輔の現役もあと何年続くかわからないが、現役の終盤になってきて東尾修入団時の福岡に来るのは何かの因縁か?
東尾修はプロ入り16年目のシーズンに200勝を達成している。
200勝までの時間では松坂大輔は東尾修に追いつけなかった。
松坂大輔が福岡ソフトバンクホークスで背負う背番号は18。
ニューヨークメッツでは16を付けていたが、やはり18が松坂大輔の代名詞である。
しかし、福岡ソフトバンクホークスの背番号18と言えば新垣渚のイメージが強い。
横浜高校:松坂大輔、沖縄水産:新垣渚は高校時代から剛腕として全国に名を轟かせていた。
1997年の秋の神宮大会決勝で対戦している二人だが、新垣渚は2014年シーズン途中に東京ヤクルトスワローズに移籍して、その後、背番号18は空白であった。
まさか松坂大輔のために空けていたとは思えないが、これも何かの因縁だろうか?
日本8年、メジャー8年が終わり、これからの8年のスタートとなる福岡の地で松坂大輔はどのような活躍を見せるだろうか?
平成の怪物の新たな幕が開けることだろう。
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