プロ野球初観戦記。ナゴヤ球場での山本浩二500号本塁打!

1985年7月26日。

私がプロ野球を初めて観戦した日である。

 

山本浩二500号を覚えているが試合内容は覚えていない^^;

私がプロ野球を初観戦したのはナゴヤ球場。

その頃は既にカープファンであった。

親に頼んでナゴヤ球場に連れて行ってもらった。

もちろんカープ戦。

試合内容は全く覚えていないし、何月何日だったかも全く記憶が無い。

試合内容で覚えている事は山本浩二が500号ホームランを放ったということ。

プロ野球は夢がある職業と言うが、四半期以上経って、こうして私が覚えていることが正に夢。

しかし、さすがにそれがいつかは覚えていないが、インターネットで調べたら出てこないかなと思い調べてみた。

536本塁打・山本浩二の500号本塁打

ありました!!

ありがとう日刊スポーツ、そしてミスター赤ヘル山本浩二。

私が初めて見たプロ野球観戦が今からちょうど29年前の1985年7月26日だと判明した。

 

ナゴヤ球場レフトスタンドでの思い出

プロ野球初観戦、試合内容は山本浩二の500号以外は覚えていないが、レフトスタンドの出来事で覚えていることがある

1つはちょっとマイナスな話。

カープファンとドラゴンズファンが喧嘩をして警備員も入ってもみくちゃになっていた。

昭和の時代、こうしたことが多かったかも。

子ども心に大人のケンカにわくわくしたのを思い出す。

 

もう一つは、カープ応援団の方から応援歌の歌詞カードをもらったこと。

35,000人収容のナゴヤ球場で、何人のカープファンがレフトスタンドにいたのだろうか?

今でこそ、アウェイでも多くのカープファンが押しかける。

しかし、当時のナゴヤ球場は35,000人のうち、カープファンは1,000人もいなかったかもしれない。

そんなレフトスタンドでCマークの帽子を被った小学3年生の私を大事にしようと応援団の方が思ったのだろう。

歌詞カードと言っても、A4サイズに各選手の応援歌が印刷されただけのもの。

ただインターネットも無い時代、応援歌のメロディはテレビで分かっても歌詞までは把握する方法がなかった。

当時の私にとってはとても嬉しく、大事に持ち帰って必死に応援歌を覚えようとしたのを思い出す。

 

今では「カープ女子」が各種メディアにも取り上げられ、アウェイに行ってもアウェイを感じなくなってきた。

まだまだカープファンが少ない時に応援団の方が地道な活動をしてくれて、徐々にファンが増え、今の人気ぶりに繋がったのだと思う。

カープファンの土台を作った人達に感謝をしつつ、次世代のカープファンの為にオールドファンは新規ファンを大事にしなければと感じる。

 

山本浩二の500号ホームランで色々なことを思い出し、考えさせられた。

1本のホームランだが、その日だけしかこれないファンにとってみれば大きな大きなホームランである。

プロ野球の持つ魔力はスゴイ!!

 

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