2013年、カープは1997年ぶりのAクラス、クライマックスシリーズ進出で盛り上がった。
その一方で1996年ぶりのBクラスになり落ち込んだのが谷繁元信。
谷繁元信とチーム成績
平成元年、大洋ホエールズでルーキーシーズンを迎えた谷繁元信。
平成26年になる今年はプロ生活26年目。
FAにより平成14年より中日ドラゴンズに移籍しており、今シーズンを終えれば大洋-横浜と中日での現役生活が13年ずつとなる。
ルーキーシーズンから優勝を果たす1998年までの大洋-横浜のチーム成績は、
6位 ⇒ 3位 ⇒ 5位 ⇒ 5位 ⇒ 5位 ⇒ 6位 ⇒ 4位 ⇒ 5位 ⇒ 2位 ⇒ 優勝
入団当時の大洋は、「横浜大洋銀行」と言われたほど弱いチームであったが、谷繁元信の成長と共に優勝を成し遂げる。
優勝後にFAで退団するまでの1999年から2001年までの成績もすべてAクラスの3位。
中日ドラゴンズに移籍後は毎年優勝を狙えるチームとして君臨。
3位 ⇒ 2位 ⇒ 優勝 ⇒ 2位 ⇒ 優勝 ⇒ 2位 ⇒ 3位 ⇒ 2位 ⇒ 優勝 ⇒ 優勝 ⇒ 2位 ⇒ 4位
横浜は谷繁元信退団後、2002年~2004年まで3年連続最下位。
2005年に借金1で3位になるものの、谷繁元信退団後は貯金を作ったシーズンはない。
2013年の谷繁元信は1996年以来のBクラス、借金シーズンだったのである。
谷繁元信こそ「優勝請負人」にふさわしい男だと思う。
谷繁元信と広島東洋カープ
前述の通り、谷繁元信はカープと真逆なチーム成績を残す選手である。
そんな谷繁元信は島根県江の川高校(現:石見智翠館)出身であるが、実家は広島県。
カープもドラフトで獲得を目指していたそうだが、カープがドラフト1位で獲得したのが現監督の野村謙二郎。
野村謙二郎の獲得は間違っていないが、もし谷繁元信を獲得していたらカープはどうなっていただろうか?
1991年に正捕手達川光男で優勝を果たしたが、翌1992年で現役引退し、達川光男以後の捕手で優勝を果たしていない。
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2014年シーズンは谷繁元信がプレーイングマネージャーとして監督に就任し、達川光男も中日ドラゴンズの1軍バッテリーコーチに就任した。
何かと因縁のシーズンとなりそうだ。
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